当時の天下たる畿内を支配した三好政権の拠点です。
石垣や土塁の遺構が残る戦国時代の山城
芥川山城は三好山山頂の主郭を中心とする連郭式の山城です。
1520年頃に管領・細川高国が築城し、初代城主は能勢頼則でした。
1533年には細川晴元が入城し、晴元が京に移った後は何度か城主が入れかわった後、
1547年には三好長慶の家臣・芥川孫十郎が城主となりました。
しかし、孫十郎が謀反を起こした為、孫十郎を追放して長慶が入城することになりました。
その後7年間三好政権の拠点となります。
三好氏の後、織田信長の側近・和田惟政が入城しますが、
翌年に惟政が高槻城へ移り、政治の拠点も次第に高槻城へと移っていきました。
芥川山城概要
基本データ
和田氏は織田信長の家臣として入城しています。
別名 | 芥川城、原城、三好山城 |
---|---|
別名の由来 | - |
所在地 | 大阪府高槻市 |
城地種類 | 山城 |
縄張り形式 | 連郭式 |
築城年代 | 1516年頃 |
築城者 | 細川高国 |
主要城主 | 能勢氏、細川晴元、三好氏、和田惟政、高山氏 |
文化財史跡区分 | - |
天守の築城年代 | - |
天守の形式 | - |
天守の構造 | - |
現在の天守の状態 | - |
現存する建築物 | - |
利用案内
アクセス | JR高槻駅から、高槻市営バス<塚脇><下の口>行き、「塚脇」下車。徒歩約30分 |
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開城時間 | - |
入城料金 | - |
100名城スタンプ設置場所 | 高槻市立しろあと歴史館、高槻市観光協会事務所 (阪急高槻市駅改札階)、高槻市観光案内所 (JR高槻駅中央改札階) |
スタンプ設置場所の開館時間 | 高槻市立しろあと歴史館 10:00~17:00(入館16:30まで) 高槻市観光協会事務所 月・水・金 9:00~19:30 火・木 9:00~17:00 土・日・祝 10:00~17:00 高槻市観光案内所 10:00~17:00 |
主な関連施設 | - |
スズメバチや蛇もでるそうなので十分注意してください。
また三好山は私有地なので、マナーを守って安全に登城しましょう。
関連サイト:登山ルート 高槻市公式HP
高槻市立しろあと歴史館
登山難易度
★☆☆☆☆
整備されていない道はありますが、標高182.6mで所要時間が短く登城しやすかったです。
茂っているので、夏は虫が苦手な方には厳しいかもしれません。

ハイキング初心者のわたしでも30分以ぐらいで山頂まで行けたよ!


歴史予習
天下人 三好長慶
三好家は元々、足利幕府管領である細川家の重臣でした。

ここから長と政と元と晴の大洪水だから集中してね!
その細川家と言えば、1507年に細川政元が暗殺されたのを発端に、一族内の権力争いが続いていました。
1520年、等持院の戦いによって高国が澄元を処刑すると、澄元の息子の晴元は立場を追われました。
高国と澄元はどちらも政元の養子です。
三好長慶の父・元長は、この晴元に仕えていました。
1526年、今度は高国と晴元の間で桂川原の戦いが起こります。
足利義晴を擁立して権力を握った高国に対して、晴元は義維を擁しました。
足利義晴・細川高国(幕府)vs足利義維・細川晴元・三好元長(堺公方派)WIN
足利義晴と足利義維はどちらも第11代将軍・足利義澄の子です。

細川家でも足利家でも兄弟同士で争いが起こったんだね。
この戦いに勝利した晴元と元長でしたが、
今度は三好政長という人物が出てきます。
政長は元長の従叔父ですが、もともと仲が悪く、対立していました。
そしてこの政長と木沢長政が共謀し、晴元と元長を離間させます。
また急に出てきたこの木沢長政という人物はというと、
長政は畠山義堯の家臣でしたが、細川氏に取り入って自らの地位を上げようとしていました。
当然主君である義堯は、長政の行動が気に入らないわけですから、対立していきます。
1532年、飯盛城の戦いがおこります。
この戦いでは、晴元の要請によって蜂起した一向一揆の援軍もあり、元長は破れます。
三好政長・木沢長政・細川晴元WINvs三好元長・畠山義堯
そして元長は自害させられます。義堯もまた同様に謀殺されてしまいます。
しかし、この戦いの際、本願寺勢に一揆を起こさせた晴元でしたが、その後も一揆は収まらず暴走しはじめます。
その翌年、当時12歳の三好長慶は晴元と本願寺との講和を斡旋し、見事一揆を収束させます。
この時長慶は父の死について事の顛末を知らなかったそうです。
その後、長慶は摂津西半国の支配を任され、摂津越水城に本拠をおき、畿内に勢力を広げていきます。
父・元長の死後、河内の代官職になったのは飯盛城の戦いで父を破った政長でしたが、
その政長が父親の死に関与していたと知った長慶は、政長を討とうとします。
ところが晴元はその討伐を許さず、決裂します。
そんなこんなで、長慶は旧敵の木沢長政、その数年後には細川高国の子・氏綱、遊佐長教の連合軍を破り、
摂津江口の戦いでは晴元を破るなど次々と畿内を制圧し、入京することになります。
こうして、「三好政権」が誕生し、山城、丹波、摂津、和泉、淡路、讃岐、阿波の7ヵ国もが
長慶の支配領域となりました。
芥川山城は、この三好政権の拠点でした。
築城は等持院の戦い以前まで遡り、
1515年頃に高国によって、摂津支配強化や澄元方の反撃に備える目的で築かれました。
その後も晴元は将軍と共に政権復帰を試み、何度かいざこざや戦もおこりますが、
全て長慶が優勢に終わり、最終的には長慶は義晴の子・足利義輝を京へ迎え入れ和睦します。
こうして三好長慶は下剋上を達成し、将軍家御供衆という将軍の家臣という形ではありながら、
畿内と四国の一部を広く支配する日本一の大名となります。
これまで権力を求めた人物は、通常将軍のもとで実権を握りましたが、
長慶は将軍を擁さず、足利将軍中心の室町幕府体制から脱却した権力を持っていた為、
織田信長に先がけた人物、最初の天下人、などと言われるようになりました。
見どころ
典型的な戦国山城の遺構
芥川山城の範囲は、約500m×約400m程あり、大阪府内では最大級の規模です。
三好山の山頂を主郭とし、周囲には曲輪が配置されています。
土橋や竪土塁などが残っている他、戦国時代の山城には珍しい石垣も一部残っています。
表札はあったりなかったりなので、事前に縄張り図等を入手しておくと歩きやすいです。
わたしが参考にしているのは大阪府中世城館事典です。



こちらの石碑の右側が山頂へ続くルート、左が大手方面になります。
石垣は大手にあります。

中央が崩れ落ちていますが石垣の一部が確認できます。


山頂からは大阪平野を見渡す事ができます。
城郭検定対策

- 細川高国が築城、後に京を目指す足利義昭と織田信長が三好氏から奪取して滞在した。
- 細川、畠山氏の抗争が続く中、三好長慶が台頭して芥川山城を拠点に畿内を支配し、その後拠点を飯盛山城に移した。
- 高山友照・高山右近父子が高槻城に移ると廃城になった。

同じ高槻市の殿町周辺には芥川城があるからしっかり区別しよう!
周辺情報
高槻市立しろあと歴史館
高槻の歴史や高槻城に関する展示、芥川山城に関する展示をしています。
芥川山城の御城印や三好長慶の武将印もこちらで販売しています。
アクセス:高槻市城内町1-7
阪急高槻市駅から徒歩約10分。
JR高槻駅から徒歩約15分
芥川山城がある三好山からは車でも20分ほどかかります。
芥川清・渓流魚釣り場

上の口駐車場付近の芥川マスつり場は予約すると区画を貸し切る事ができます。
夏には鮎の友釣りや鮎のつかみとりができるそうです。

水が綺麗で泳ぐ魚が見えるよ!どうぶつの森状態だね!
アクセス:大阪府高槻市 大字原2154−3
JR高槻駅前よりバスで15分
上の口駐車場から徒歩5分
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参考書籍
大阪府内の108城が写真や縄張り概要図と共に解説されており、読み応えがあります。
日本100名城・続日本100名城に選定された、芥川山城、大阪城、飯盛山城、千早城、岸和田城はもちろん、
古墳や屋敷跡も含み、ボリュームたっぷりです。

特に山城に行くときは印刷して書きこみしながら下調べしてるよ!
三好長慶と関連のある城
