105.白石城‐木造復元天守5城の一つ、三代片倉家の功績とは?

白石城 天守 続日本100名城
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写真 一国一城令の例外となった城の一つです。

蒲生氏郷が築き、仙台藩の支城として幕末まで存続した城

白石城のはじまりは、いつ、誰の手によって造られたのか、
はっきりしたことはわかっていません。


戦国時代には伊達氏の支配下に入り、伊達政宗の代から伊達家に仕えた片倉氏の城として
明治維新まで存続しました。

片倉氏の祖・片倉小十郎景綱や、その後を継いだ重長は智勇兼備の名将として
現在もその武勇が語り継がれています。

江戸時代には一国一城令の例外として幕府から正式に認められたり、
戊辰戦争では列藩会議が行われるなど
城郭検定でも出題歴の多い城の一つです。

そんな白石城の見どころや歴史をご紹介していきます。

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白石城概要

基本データ

写真 築城者の蒲生氏郷は要チェック!

別名益岡城
別名の由来
所在地 宮城県白石市
城地種類 平山城
縄張り形式 梯郭式
築城年代 1591年
築城者 蒲生氏郷
主要城主 白石氏、蒲生氏、甘糟景継、登坂勝乃(上杉氏)、片倉氏
文化財史跡区分 市指定有形文化財
天守の築城年代 1819年
天守の形式 層塔型
天守の構造 複合式 三重三階
現在の天守の状態 木造復元
現存する建築物

利用案内

アクセス東北本線 「白石」駅 徒歩約15分
開城時間 4月~10月 9:00~17:00
11月~3月 9:00~16:00
入城料金 一般 400円/小・中・高校生 200円/未就学児童 無料
100名城スタンプ設置場所 白石城天守閣
スタンプ設置場所の開館時間 4月~10月 9:00~17:00
11月~3月 9:00~16:00
主な関連施設 白石城管理事務所白石城歴史探訪ミュージアム

関連サイト:白石城・歴史探訪ミュージアム・武家屋敷

補足

白石城、歴史探訪ミュージアム立体ハイビジョンシアター、武家屋敷の共通券有

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歴史予習

伊達家を支えた片倉家と白石城の歴史

天正19年(1591)、豊臣秀吉は、奥羽仕置きに際して、
伊達氏の支配下にあった白石を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えました。

ところが慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの直前、
伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となりました。

そして伊達氏家臣・片倉小十郎によって大改修がされ、
以後明治維新まで片倉氏の居城となりました。

初代・片倉小十郎景綱は、伊達政宗の父・輝宗に見出され、
子供の頃から政宗の世話係となり、生涯政宗につかえました。

片倉家の事績を今に伝える「片倉代々記」によると、
片倉家はこれまで三代にわたって伊達家の大難を3度救ったそうです。

1度目は・・・

初代・片倉景綱が、秀吉の小田原征伐の時、伊達政宗を説得して小田原に参陣させた

1590年(天正18年)、秀吉は小田原征伐を開始すると政宗にも参陣するように要請します。

しかし、小田原北条家と伊達家はもともと同盟関係にありましたし、
それに加えて秀吉に対して徹底抗戦を主張する伊達成実だてしげざねら重臣の反対もあり、
政宗は躊躇していました。

そんな中景綱は、秀吉に味方するよう進言しました。

何度か退治できても、蝿は減らないのと同様に、秀吉の勢いは止めることができない。
それが分かっていて、秀吉に敵対しても生き残る術はない。

と説得したと言われています。

伊達政宗はその進言に従い、急いで小田原に参陣しますが、遅参となってしまいました。

わしをハエに例えるとはけしからん!

でもそのおかげで政宗は小田原に向かったんだね!

遅参した事に秀吉は激怒し、奥羽仕置きでは小田原征伐遅参に加えて一揆の責任が問われ、
さらに惣無事令に違反した事も相まって大幅な減封となりましたが、
仙台白河家初代当主・小峰義親こみねよしちかや黒川晴氏、田村宗顕たむらむねあき
伊達傘下にいて小田原征伐に参陣しなかった大名は改易となっています。

こうして景綱の進言により伊達家は改易を免れました。

奥州仕置きの際、景綱の働きを高く評価した秀吉は、
景綱を大名に取り立て、直臣に迎えたいとスカウトしますが、
片倉景綱は伊達政宗への忠義を貫きこれを断っています。

さらに慶長6年(1601)には、家康から伊達家の江戸屋敷とは別に、
片倉家単独の屋敷を贈られましたが、政宗への遠慮から、これを返上しました。

このような背景があって、江戸幕府の一国一城令の例外として、
片倉家が白石城の城主であり続けることができたのかもしれません。

政宗に千利休から茶を学ばせたのも景綱と言われておるぞ。

2度目となるのは、

景綱の子・重長が大坂の陣で武功を挙げ、伊達勢の手柄は日本一と天下に認めさせた

慶長19年(1614)に大坂の陣が始まると、
病中にあった父に代わって政宗に従い、その子の長重が参陣しました。

特に夏の陣の道明寺の戦いではその勇名を轟かせる事となります。

徳川軍は小松山を占拠した大坂五人衆の一人、後藤又兵衛(基次)の隊を攻めあぐねていましたが、
片倉隊は一気に後藤隊を襲い敵将を討ち取ってみせました。

さらに大坂一の怪力とうたわれた豪傑の薄田すすきだ隼人も討ち取り、
さらに日の本一の兵と言われた、真田信繁の隊とも激戦を繰り広げました。

このような活躍があって、世間からは父に劣らぬ智勇兼備の名将として
「鬼の小十郎」と称される事となりました。

信繁はこの時、重綱の器量を見込んで孤児を託し、重綱はこれを引き取ったと伝わっています。

その後孤児たちは白石城で育ち、娘の阿梅は重綱の後妻となり、
次男の大八は伊達藩士に取り立てられました。

3度目は、

重長の子(養子)・景長が伊達家のお家騒動の際仙台藩を救った

この伊達騒動は、江戸時代の三大お家騒動の一つとも言われています。

事の発端は、三代藩主・伊達綱宗が強制隠居させられ、
4代藩主にわずか2歳の伊達綱村が就任した事でした。

綱宗は酒色に溺れ、藩政を顧みず遊興放蕩三昧であった為、
叔父の一関藩主・伊達兵部宗勝や他藩の親族大名らが幕府に、綱宗の隠居と、
嫡子・亀千代(綱村)の家督相続を願い出て、これが認められたのです。

ところが、2歳の綱村が藩主になると、宗勝自身が実権を掌握し権勢を振るうようになりました。

宗勝は監察権を持つ目付の権力を強化して寵愛し、奉行を上回る権力を与えて自身の権力を高めました。

奉行もこれに加担し、宗勝の専横を非難した里見重勝を故意に無嗣断絶に追い込んだり、
席次問題に端を発した伊東家一族処罰事件が起こりました。

さらに一門の伊達宗重と宗勝の甥・伊達宗倫の所領紛争(谷地騒動)がおこると、
伊達宗勝派の専横を幕府に訴えました。

これにより寛文11年(1671)、江戸で老中や幕府大目付なども列席し、
関係者が呼び出されて審問が行われました。

この際景長は国元で幼主・綱村の補佐に当たりました。

ところがその審問中の控え室にて家老・原田氏によって宗重が斬殺され、驚いた者も斬りあいとなり、
大混乱となって、関係者3名が死亡しました。

この一連の騒動は寛文事件と呼ばれています。

この騒動の知らせを聞いた景長はすぐに領内に厳戒体制を敷いて、
領内での混乱を食い止めました。

その働きが評価され、仙台藩は改易を免れることとなりました。

その後幕府によって正式に、藩主・綱村は幼少のため咎め無し、
大老宅で刃傷沙汰を起こした原田家や、裁判の争点となった宗勝派及び、
年長の後見人としての責務を問われた宗勝の一関藩は改易となりました。

このように片倉家は伊達家を3度も救ったと語られています。

片倉家は明治維新まで白石城主となりましたが、
江戸時代の代々の当主は初代・片倉景綱にならって片倉小十郎を名乗り、
藩の内外の人々もそう呼んだそうです。

戊辰戦争では白石会議と呼ばれる列藩会議が行われ、
奥羽越列藩同盟を結成するきっかけとなりましたが、
12代・邦憲の時には戊辰戦争に敗れ、白石城を没収されました。

伊達政宗を祀る青葉神社では、片倉景綱を祖とする片倉家当主が歴代の宮司を務めており、
現在の宮司も片倉景綱の子孫である16代当主・片倉重信さんが継いでいるそうです。

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見どころ

大櫓

白石城 天守
白石城大櫓
白石城 天守石落とし
天守石落とし

本丸に建っていた天守代用の三重櫓は大櫓と称されていました。

明治7年(1874)には取り壊されましたが、平成7年(1995)に木造で復元されました。
戦後の木造復元天守閣では高さ、広さとも日本最大級を誇り、
木造で復元された天守は現在全国に5城しかありません。

3階は物見櫓の役割を兼ね、高欄が廻り、火頭形の出入り口がついています。

城郭検定対策

城郭検定マーク
  • 奥羽仕置きによって伊達氏から蒲生氏の領地となり城が築かれた。
  • 関ヶ原の戦い後に再び伊達氏の領地となり片倉氏の城となった。
  • 一国一城令の例外として幕末まで存続した。
  • 天守代用の御三階櫓は大櫓と称された。
  • 大阪夏の陣で真田信繁が戦死すると、その遺児を預かった
  • 戊辰戦争では列藩会議が行われた。
  • 平成7年には木造で天守が復元された。

木造で復元された天守は数少ないから全ておさえよう!

周辺情報

青葉神社

画像準備中

初代藩主・伊達政宗を祀る神社です。

関連サイト:青葉神社

旧小関家

画像準備中

白石城主片倉家の家臣・小関家の屋敷で、享保15年(1730)に建築されました。
平成3年に復原され、三の丸外堀の沢端川沿いに建っています。

関連サイト:白石城・歴史探訪ミュージアム・武家屋敷

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