まず天守は大きくわけると現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守に分類されます。
このうち今回紹介していくのは復元天守です。
さらに、一口に復元天守と言っても、
木造の城と、鉄筋コンクリート造のふたつにわかれます。
実は木造で復元されている天守は非常に少なく、
下記の5城しかありません。
- 白河小峰城三重櫓
- 白石城大櫓
- 新発田城三階櫓
- 掛川城天守
- 大洲城天守
一方鉄筋コンクリート造の天守は外観復元天守と呼ばれ、
外観のみをほぼ以前の姿に復元されたもので、この外観復元天守も
たったの9城しかありません。
- 松前城
- 会津若松城
- 名古屋城
- 大垣城
- 広島城
- 和歌山城
- 熊本城
- 岡山城
- 福知山城
つまり数ある天守の多くが復興天守や模擬天守ということになります。

復興天守、模擬天守はまた次の記事にするよ♪
城郭検定関連記事は他にも書いてますので、
よかったらそちらも見てくださいね♪
木造復元天守
白河小峰城三重櫓(福島県白河市)

丹羽長重が江戸幕府に命じられ、武家諸法度の例外として、
10万石の大名の居城にふさわしい城郭に改修しました。
天守は築かれませんでしたが、寛永9年(1632) に三重三階の櫓を代用としていました。
しかし戊辰戦争では激戦地となり、櫓や門を焼失してしまいます。
それを昭和62年(1987)に市政40周年を記念して、
木造による伝統工法での再建が計画され、平成3年(1991)に三重櫓が完成しました。
平成の城復元ブームの先駆けと言われたらこの城があてはまります。
また、白河小峰城は東北の石垣造りの三大名城に数えられています。
関連サイト:小峰城跡【こみねじょうあと】 | 白河市公式ホームページ
白石城大櫓(宮城県白石市)

天正19年(1591)の奥羽仕置きで蒲生氏郷が入封し、白石城を築きました。
関ヶ原の戦い後は伊達氏家臣・片倉小十郎の城となりました。
その後も一国一城令の例外として仙台藩の支城となり、幕末まで存続しました。
こちらも天守は築かれませんでしたが、天守代用の三重櫓は大櫓と呼ばれ、
平成7年(1995)に復元されました。
関連サイト:白石城・歴史探訪ミュージアム・武家屋敷
新発田城三階櫓(新潟県新発田市)

戦国時代に新発田重家が本拠地とした旧新発田館跡に、
加賀国大聖寺から入封した溝口秀勝が築城し、
天守代用の三重櫓は三代・溝口宣直のときに完成しました。
この三重櫓は、屋根が丁字型をしており、その屋根に3匹の鯱が乗っているのが特徴的です。
平成16年(2004)に再建されました。
関連サイト:新発田城・新発田城址公園 – 新潟県観光協会
掛川城天守(静岡県掛川市)

戦国時代に、駿河の今川氏が遠江支配の拠点として重臣・朝比奈泰煕に築かせたと言われています。
その後天下統一を果たした豊臣秀吉の時代に山内一豊が入り天守を築きました。
しかし嘉永7年(1854)安政の東海大地震により損壊し、
再建されることなく明治維新を迎え、明治2年(1869年)に廃城となりました。
そして平成6年(1994)に復元されました。
関連サイト:掛川城|静岡県掛川市
大洲城天守(愛媛県大洲市)

元弘元年(1331)に伊予国守護・宇都宮豊房が地蔵ヶ嶽城を築城したことにはじまります。
文禄4年(1595)に藤堂高虎が入城し、
江戸時代初期の慶長14年(1609)には脇坂安治が転封されています。
天守はこの2人の慶長年間(1596~1614)頃に建てられたと考えられていますが、
明治21年(1888)、老朽化などにより取り壊されました。
そして平成16年(2004)に復元されました。
木造天守としての四層四階は日本初で、約19mの高さは日本一となります。
明治期の古写真や天守雛形などの史料が現存していた為、
往時の姿を正確に復元する事ができた数少ない天守です。
関連サイト:大洲城公式サイト
外観復元天守
松前城(北海道松前郡松前町)

日本における最後期の日本式城郭の一つです。
江戸時代末期に江戸幕府に命じられ、松前藩が安政元年(1855)に完成させました。
戊辰戦争では元新選組の土方歳三ら旧幕府軍に攻められ、
わずか数時間で落城しましたが、その時天守は破壊されず、旧国宝に指定されていました。
しかし太平洋戦争末期には大きな被害を受け、
さらに昭和24年(1949)には火事の飛び火により焼失しました。
その後昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート造で再建されました。
関連サイト:まつまえの文化財 – 北海道松前町
会津若松城(福島県会津若松市)

室町時代にはじまる黒川城を蒲生氏郷が文禄元年(1592)から改修し、
その後加藤氏の時代には、地震で壊れた七重の天守を五重にするなどの大規模な改修がされました。
承応2年(1653)には初代会津藩主・保科正之によって赤瓦へ葺き替えられています。
戊辰戦争では新政府軍による激しい攻撃を受け、
さらに廃城令によってとり壊されました。
現在の天守は昭和40年(1965)に外観復元されたものですが、
さらに平成23年(2011)に黒瓦を当時と同じ赤瓦に復元されました。
関連サイト:一般財団法人 会津若松観光ビューロー
名古屋城天守(愛知県名古屋市)

名古屋城は徳川家康が天下普請によって築城させた城です。
初代城主は徳川義直で、以降徳川御三家のひとつ、尾張徳川家17代の居城となりました。
また、築城当時は最上層のみが銅瓦でしたが、
宝暦5年(1755)に行われた修復工事の際にすべて銅瓦葺きになりました。
明治維新の際は存城となり、旧国宝にも指定されましたが
昭和20年(1945)の空襲によって焼失します。
そして昭和34年(1959)に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建され、
外観は旧天守閣を再現し、内部は博物館として歴史資料や模型などを展示してきました。
平成25年(2013)1月4日には、鉄筋コンクリート製から木造に建て直す復元事業が発表されるも、
平成31年/令和元年(2019)、現天守の解体申請が許可されず、
現在も木造復元に向けて取り組みがされています。
関連サイト:名古屋城公式ウェブサイト
大垣城(岐阜県大垣市)

美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に創建されたと伝えられています。
関ケ原の戦いでは、石田三成らが入城して西軍の根拠地となりました。
その天守は戦前、旧国宝に指定されていましたが、
昭和20年(1945)の空襲により焼失しました。
昭和34年(1959)、4層4階の天守が外観復元されましたが、
これは戦前の大垣城をモデルに復元された郡上八幡城を参考にしたもので、
観光用に窓を大きくするなどの改変がされました。
内部は関ヶ原の戦いについての資料館となっています。
さらに平成23年(2011)、屋根瓦の葺き替えと外壁改修工事により、
再建時に改変された外観が焼失前の外観に近くなるように改修されました。
関連サイト:大垣城 | 大垣市公式ホームページ/水の都おおがき
広島城(広島県広島市)

毛利輝元によって築かれた城で、聚楽第を手本にしたといわれています。
築城の際には黒田官兵衛が助力したともいわれ、
当時は大坂城に匹敵する大規模なもので、日本三大平城にも数えられています。
太平洋戦争末期には本丸に第5師団司令部に大本営が移されましたが、
昭和20(1945)の原爆投下により破壊されました。
昭和26年(1951)には、体育文化博覧会の開催に合わせて、
小振りな木造仮設の二代目天守が約半年間建てられましたが、
昭和33年(1958)に、広島復興大博覧会の開催に合わせて、外観復元されました。
関連サイト:公益財団法人広島市文化財団 広島城の公式ホームページ
和歌山城(和歌山県和歌山市)

和歌山城は第8代将軍・吉宗、第14代将軍・家茂を排出した、徳川御三家のひとつ、
紀州藩紀州徳川家の居城でした。
日本三大連立式平山城のひとつでもあります。
江戸時代末の弘化3年(1846)に落雷で焼失しましたが、
嘉永3年(1850)には再建され、この天守が後に外観復元される事になります。
昭和には天守など11棟が国宝に指定されていましたが、
昭和20年(1945)、空襲で焼失し、
その後昭和33年(1958)に天守曲輪の建物群が鉄筋コンクリート(一部木造)で復元されました。
嘉永3年の天守再建の際の図面や戦前の平面図、古写真をもとに再建されており、
その完成度は焼失前の写真と見比べても、違いが分からないほどといわれています。
関連サイト:トップ|史跡和歌山城
熊本城(熊本県熊本市)

加藤清正が慶長6年(1601)から7年の歳月をかけ築城しました。
明治10年(1877)には西南戦争直前に原因不明の出火により大天守など多くが焼失しましたが、
昭和35年(1960)の熊本国体開催と築城350年に合わせて外観復元され、
内部は熊本市立熊本博物館の分館として史料等が展示され、最上階は展望スペースとなっています。
平成28年(2016)の熊本地震では倒壊こそしなかったものの天守も被害を受け、
令和3年(2021)に天守閣の復旧工事が完了しました。
関連サイト:【公式】熊本城
岡山城(岡山県岡山市)

岡山城は宇喜多秀家の居城として知られています。
天守は国宝に指定されていましたが空襲で焼失しています。
現存する天守は昭和41年(1966)に外観復元されたものです。
その際に、本来の出入り口である塩蔵の出入り口の他に、
天守台に正面出入り口としてもう一つ出入り口を設けられました。
さらに平成8年(1996) には、築城400年記念事業として、
創建当時の天守に金の鯱が乗っており金烏城と呼ばれていたとの伝承から、
鯱に金箔が施されました。
関連サイト:岡山城 – 川面に映える漆黒の城
福知山城(京都府福知山市)

織田信長の命を受け、丹波を平定した明智光秀が天正7年(1579)に改修しました。
明治6(1873)年に出された廃城令によって、天守は取り壊されましたが
昭和後期になると、市のシンボルとしての福知山城天守再建の機運が高まり、
オイルショックによる計画中断などもありながら、
昭和58年(1983)から4年間にわたり工事され、昭和61年(1986)に完成しました。
関連サイト:【公式】福知山城 明智光秀が築いた城