琵琶湖周辺には彦根城や長浜城といった有名な城がありますが、
実はかつて近江には1,300もの城が築かれていたと考えられています。
戦国時代には織田信長や豊臣秀吉も重要視した地であり、
数々の戦の舞台にもなってきた事は御存知の方も多いと思いますが、
さらに遡り、『古事記』にも近淡海、淡海などの記述が見つかっており、
城や館跡、砦、神社はもちろん、古墳なども多く発見されています。
滋賀県は「高島・湖西エリア」、「大津エリア」、「草津・湖南エリア」、「近江八幡・東近江エリア」、「甲賀・信楽エリア」、「彦根・湖東エリア」、「長浜・湖北エリア」の7つのエリアに分かれていますが、
今回はその中でも琵琶湖周辺の6つのエリアの史跡を城郭を中心に紹介します♪
そして本記事では長浜・湖北エリア(長浜市・米原市)をご紹介します☆
続きとなる高島・湖西エリア以降の記事はコチラ↓
草津・湖南エリアからスタートする場合はコチラ↓
琵琶湖周辺の歴史スポットを一周して巡る!史跡選パート3草津・湖南、近江八幡・東近江、彦根・湖東エリア
新幹線、車どちらとも比較的アクセスしやすい
米原から反時計回りにスタート!
鎌刃城
☆続日本100名城
湖北と湖南を結ぶ要衝の地として、京極氏・浅井氏と六角氏がたびたび奪い合った城です。
城主の堀氏は浅井長政に臣従しましたが、織田信長が近江に侵攻すると降伏し、
長政によって攻められ落城しました。
姉川の戦いの後は織田家の領地となりましたがすぐに廃城となりました。
太尾山城
江南・江北の境目に位置する事から、佐和山城や鎌刃城同様に、
境目の城として応仁の乱のころ築城されたものと考えられています。
中山道と北国街道の分岐点を押さえる位置にあり、佐々木六角氏と京極氏、
後に浅井氏の勢力争いの重要な城となりましたが、
織田信長による浅井氏攻めの後に廃城となりました。
大谷吉継の首塚
関ヶ原の戦いで、西軍の参謀として参陣した大谷吉継の首塚と伝えられる石塔です。
西軍の敗北を悟った吉継が、敵に首を渡さないよう、湯浅五助の介錯で自刃し、
甥の僧・祐玄が首を錦の袋に入れて、敦賀の逃亡の途中に、この地に埋め隠したといわれています。
朝妻湊跡
朝妻湊は古くから東海・北陸地方の人の行き来や荷物の運搬など、
湖上交通の要港として発展し、秀吉が京の大仏殿建立の際には、尾張や美濃から木材を運搬し、
木曽義仲の後続部隊の出陣時にも朝妻湊を経て戦地に向かうなど、重要な役割を果たしました。
岩脇蒸気機関車避難壕
太平洋戦争末期の頃に作られたと言われる防空壕で、
空爆から蒸気機関車を守るためのものです。
普段は立入禁止となっていますが、定期的に見学会が行われています。
若宮氏館跡
山内一豊の妻・千代の誕生の地です。
千代は近江浅井家の家臣・若宮喜助友興の娘として生まれ、
後に山内一豊を内助の功で支え、信長の「馬ぞろえ」や関ヶ原前夜の「傘の緒の密書」などの逸話が残されています。
※千代の出身地に関しては諸説あります。
下坂氏館跡
☆北近江城館跡群
室町時代初めから戦国時代まで続く村落領主・下坂氏の屋敷跡です。
約90メートル四方の土塁と堀に囲まれた城郭遺構が残り、
建物は江戸時代の建造ですが、主屋や門が残っている他、
この屋敷内には下坂氏の菩提寺不断光院が現存しています。
横山城
浅井長政によって築かれましたが姉川の戦いの前哨戦で織田信長に奪われ、
豊臣秀吉が城番となり、賤ヶ岳の合戦の際に改修され、
長浜城とともに後方基地として利用されました。
また、山麓の石田町は石田三成の出生地としても知られています。
長浜城

☆琵琶湖4城
天正元年(1573)に羽柴秀吉が浅井氏攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領であったこの地を拝領し、
当時今浜と呼ばれていたこの地を信長の名から一字とって長浜に改名しました。
秀吉の出世城として有名です。
小谷城で使われていた資材などを流用して築城されましたが、
長浜城の廃城後は資材の大半が彦根城の築城に流用されており、
彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられています。
城の一部が琵琶湖に水没し、琵琶湖湖底遺跡となっている事でも有名です。
三田村氏城館
☆北近江城館跡群
京極氏、浅井氏に仕えた三田村氏の居城でした。
土塁の高さは2メートルから3メートル、幅5メートルほどあり、
姉川の合戦時には朝倉景建の本陣が置かれ、姉川古戦場の一つとして知られています。
虎御前山砦群
織田信長の小谷城攻略の際に築かれた前線砦群です。
虎御前山の尾根上に古墳が点在している利点を活かし、ほぼ山全体に砦を築き家臣を配置しました。
山の最高所にある伝織田信長陣をはじめ、滝川一益・柴田勝家などのものと伝わる陣跡が残っています。
小谷城

☆日本100名城
☆中世三大山城
浅井家が3代にわたって居城としており、浅井長政、お市の方、浅井三姉妹ゆかりの城です。
織田信長との戦いで浅井家が滅んだ後、羽柴秀吉に与えられましたが、
秀吉は長浜城を築いたた、そのまま廃城となりました。
清水谷には、平時における浅井氏と家臣たちの館跡があります。
山本山城(山本城/阿閉山城)
平安末期築城の古い歴史を持ちますが、
戦国時代には、京極氏の被官である阿閉氏が居城としました。
浅見氏が浅井氏の勢力下に組み込まれると小谷城の支城となりました。
その後浅井氏が織田氏によって滅ぼされると織田方となり、
山崎の合戦時は明智方となり、その戦いに敗れた後は廃城となります。
古保利古墳群
古墳時代の初期から後期・終末期に至る、132基の古墳からなる大規模な古墳群で、
前方後円墳8基、前方後方墳8基、円墳79基、方墳37基で構成されています。
邪馬台国時代の古墳も確認されている、国内最古級・最大級の古墳群として有名です。
田上山砦
元亀争乱の際に朝倉氏の軍勢が布陣していたといわれていますが、
築城年代や築城者は断定されていません。
賤ヶ岳の合戦では、羽柴秀吉軍がこの地に砦を築きました。
そして秀吉の弟・秀長の軍勢1万5千が在陣しました。
付近の木之本地蔵院は秀吉の本陣として知られています。
以上15ヵ所となります。
もちろん他にもたくさんの史跡がありますので、
発見次第立ち寄るのもおすすめです。
琵琶湖を一周して史跡を巡る旅の続きの記事と紹介している内容は下記の通りです。
「長浜・湖北エリア」ここ☆
鎌刃城、太尾山城、大谷吉継の首塚、朝妻湊跡、岩脇蒸気機関車避難壕、若宮氏館跡、下坂氏館跡
横山城、長浜城、三田村氏城館、虎御前山砦群、小谷城、山本山城、古保利古墳群、田上山砦
「高島・湖西エリア」
大溝城、清水山城、打下城、田屋城、白鬚神社、義経隠れ岩
「大津エリア」
坂本城、膳所城、宇佐山城、壺笠山城、大津城、浮御堂、唐崎神社
「草津・湖南エリア」
小堤城山城、浮気城、多喜山城、永原御殿跡
「近江八幡・東近江エリア」
安土城、八幡山城、観音寺城、長光寺城、星ヶ崎城、佐生日吉城、水茎岡山城、北之庄城、新町通り
「彦根・湖東エリア」
彦根城、佐和山城、目賀田城、勝楽寺城、玄宮園