織田信包が築城し、三大築城名人として有名な藤堂高虎が大改修しました。
関ヶ原の前哨戦の舞台ともなった城
1570年に織田信長の中伊勢侵略の際に、信長が長野家へ養子として送り込んだ
弟・織田信包が築城した城で、
後に藤堂高虎が入封し、城を拡張・大改修しました。
城は直線的勾配の高石垣や広い水堀など、いずれも高虎の築城の特徴が見えます。

内堀は現在一部を残すところとなっていますが、当時の南内堀は幅100mもあったと言われています。
また、高虎は城の周囲に武家屋敷をつくり、伊予から連れてきた町人たちを岩田川の南に住まわせて、
伊予町をつくったり、城下町を整備しました。
さらに、参宮街道を城下に引き入れ、城の東に堀川を切り開くなど、津の基礎を作り上げました。
以降国替えもなく、明治維新まで津は32万石の城下町として栄えました。
津城概要
基本データ
築城者の藤堂高虎は要チェック!
別名 | 安濃津城 |
---|---|
別名の由来 | 津市の古称である安濃津による。 |
所在地 | 三重県津市 |
城地種類 | 平城 |
縄張り形式 | 輪郭式 |
築城年代 | 1570年~92年 |
築城者 | 織田信包 |
主要城主 | 藤堂高虎 |
文化財史跡区分 | 県定史跡 |
天守の築城年代 | 1577年 |
天守の形式 | - |
天守の構造 | 五重であったとされる |
現在の天守の状態 | - |
現存する建築物 | - |

利用案内
アクセス | JR・近鉄「津駅」からバス約8分「三重会館」から徒歩で約3分 |
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開城時間 | - |
入城料金 | - |
100名城スタンプ設置場所 | 高山神社社務所、津まんなかガイド詰所 |
スタンプ設置場所の開館時間 | 高山神社社務所 9:00~16:00 津まんなかガイド詰所 土・日・祝日9:30~16:00 |
主な関連施設 | - |
津まんなかガイド詰所ではボランティアで観光案内をしている、安濃津ガイド会の方に案内をお願いする事ができますが、予約が必要なので事前に確認してください。
関連サイト:安濃津ガイド会
安濃津ガイド会提供音声ガイド:津城跡、スマホで音声案内
歴史予習
関ヶ原の前哨戦~夫を救った女武者~
安濃津城の戦いは、関ヶ原の戦いの前哨戦の1つで、1600年に始まりました。
この戦で、当時津城城主だった富田信高は東軍につき、豊臣方の西軍に城を攻められ籠城戦をすることになります。
西軍は毛利秀元、長宗我部盛親、吉川広家、長束正家らを筆頭に3万人の兵を擁するのに対し、
信高率いる東軍の兵は1,700人程でした。
少ない兵で必死に城を守り続ける信高でしたが、東軍の砲撃で、櫓が撃破され
二の丸、三の丸へと侵入されてしまいます。
信高自らも槍を取って応戦しますが、圧倒的戦力差を前に津城は四方を破られ陥落してしまいます。
そして信高は自刃を決意しますが、周りは敵に埋め尽くされ本丸へ戻る事すらもできません。
するとそんな中、一人の美しい顔の若武者が鮮やかな甲冑をまとい、槍を手に現れます。
その若武者は瞬く間に敵を5、6人倒し信高の前に進み出ます。
信高がその若武者の顔を覗くと、なんと信高の妻だったのです。
『武将感状記』によると、この時信高の妻は毛利秀元の家臣・中川清左衛門を討ち取ったといいます。清左衛門は大剛の士として知られています。
そして信高は妻とともに本丸に引き返すことができました。
その翌日、西軍は城内に遣いを送り信高に降伏を勧めると、信高もこれを受け入れ、
安濃津城を開城しました。
結果として3日間の籠城戦ではありましたが、信高が西軍を足止めしたその間に、
福島正則らが、西軍の岐阜城を攻略します。
信高は安濃津城の戦いの後出家していましたが、関ヶ原の戦いで東軍が勝利すると、
城は奪われたものの、大軍を相手に好戦したということで2万石の加増を受け、
安濃津城城主として返り咲きました。

女武者かっこいい~~!
見どころ
石垣
津城の石垣は織田期に造られたものや、高虎期に造られたものが残っている為、
野面積み、打ち込みはぎ、切り込みはぎ等、時代によっていくつかの手法で積まれた石垣を見る事ができます。
西の丸付近では谷積みも見る事ができます。
他にも補修の形跡や石の刻印、矢穴、すだれやはつり仕上げなども見どころです。




これは高虎の特徴である直線的な高石垣ですが、
石垣の根元部分には犬走が巡らせてあるのがわかります。
津城南の公園側から見ると、石垣の途中部分に算木積みが見られ、拡張もしくは修理の跡だと言われています。
石垣にはところどころに階段があり、隅櫓や多門櫓跡に登る事ができます。
三重の模擬櫓のあたりにも階段があります。
この三重模擬櫓は昭和33年に建てられたもので、かつては多門櫓があった場所です。


模擬天守や模擬櫓のように模擬〇〇とつくものは、シンボル的に、史実とは違うものを建てた場合に使われます。
藤堂高虎像

現在津城跡は公園になっていて、本丸には噴水があります。
その付近に高虎の実寸大の銅像があります。
城郭検定対策

- 三重の模擬隅櫓は昭和33年に建てられた。
- 1600年の安濃津城の戦いでは、毛利秀元、長宗我部盛親らに攻められ、砲撃により落城した。

信長の伊勢侵攻の為に養子として送り込まれた例は他にもあるよ。高虎の城もたくさんある!混同しないように注意しよう!
周辺情報
藩校有造館跡
藩校有造館有造館は、津藩士の子弟教育のために創設され、藩を支える人材育成の拠点でした。
廃校後は、小学校・師範学校・中学校校舎となり、現在は石碑が建てられています。

現在日本庭園となっている津城西の丸には、この有造館の入徳門が移築されています。
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